障害者とアート

障害者とアート。
これまで永年僕は、多くのあらゆる年代層、さまざまな方とアートを取り組んで来ました。
そうして今思えば、あの時一緒に取り組んだ方は、障害を抱えていたのかな?と思うことがあります。
というのも明らかにコミュニケーションが取れない、身体的に不自由さをお持ちであれば確認できますが、それが無ければわかりません。
ただ、作業が他の方より遅いと感じるのか、作業が雑、話し方が下手というだけかもしれません。
過去の実例です。
手描きで作業をしてもらえば、他の方より少し遅いけど綺麗に仕上げる。
でも、パソコンでアプリケーションの練習をすると操作の理解ができない。
別の方で、自身が描いた絵を仕上げ段階になると常につまづき完成度が下がる。
アートは、答えがないから、表現の方法は様々です。ですから一緒に取り組んできてお互いが納得できれば完成なのですが、社会で活用できるかとなれば、認められる手段が必要だと思います。
バスギアの描いた落書きがアメリカ社会で活用できたのは、それなりの手段(プロデュース)があったのでしょう。
今回、紹介する絵は、先日も公開しました、コミュニケーションのほとんど取れない子の作品です。
今回初めて背景に着色できました。
色は、本人が選びました。
水彩ですから早く仕上げようとすると滲みます。
筆にふくむ水の量によっても滲みます。
でも、彼はそのこと想定内です。
この作業をしている時は、常に笑っています。
とても幸せそうな表情です。
これがアートをすることの大きな収穫だと思っています。
今後もアートで多く活動を続けて行きます。

美術の理解(アートを通して創造教育を)

創作の時間とは、自由な線を描く。自由に着色する。そのことは、誰からも指示をされることなく、自らの力で仕上げる。 仕上がった作品が褒められることが嬉しい気持ちとなり、自信に繋がる。 作品を仕上げることで主体的な動きができる。 現代は、情報化社会。そのため、どうしても受け身になってしまう。それは、幼児から子どもの教育に悪式ことだと考える。そこでアートは、それらを払拭させることができると確信している。

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